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娯楽殺人映像 - スナッフ・フィルムは実在するか

snuff1.jpg2000年、ロシア当局は、モスクワに住む一人の元自動車整備士を逮捕した。男の名はディミトリ・ウラジーミロヴィチ・クズネツォフ(Dmitri Vladimirovich Kuznetsov)。容疑はチャイルド・ポルノの制作と販売である。過去数年に渡り、ディミトリはイギリスや各国の協力者と連携し、巨大なチャイルド・ポルノ販売サイトを運営していたのだ。ディミトリの容疑が発覚したきっかけは、ビデオを発見した英国税関の通報であった。そしてほぼ同時期、イタリアでディミトリが手配した3000本以上のチャイルド・ポルノ映像が押収され、購入者の特定が進められると、事件はヨーロッパ中を席巻する大騒動となったのである。

この事件が話題を呼んだのは、何よりマスコミが報じた、そのビデオの内容であった。そこには、児童が性的虐待を受ける様が撮影されていただけでなく、虐待の結果、児童が死亡する様子を納めた"スナッフ・フィルム"までが販売されていたというのである(※1)。

都市伝説としての"スナッフ・フィルム"

sfilm99.jpgこの事件は、スナッフ・フィルムという言葉がメディアに登場するいわば典型的なケースである。しかしスナッフ・フィルムの存在が語られるのは、常にこうした猟奇殺人やチャイルドポルノ事件を報じる新聞の片隅であり、その実体は未だ明らかではない。例えばこれまで、映画関係者や犯罪学者達までもが幾度となくスナッフ・フィルムの存在について言及し、猟奇殺人者が逮捕される度、「押収されたビデオの中にはスナッフビデオがあった」と、マスコミは書き立ててきた。しかし多くの場合、それらは単に残虐ビデオや疑似スナッフ映画と一緒くたにされた場合がほとんどなのである。

例えばかつて、米国のゴシップ紙スクリュー・マガジン(現在は廃刊)の編集者アル・ゴールドスタインが「スナッフ・フィルムを送ってくれた人に十万ドル贈呈」という宣伝を打ったこともあった。しかし、とうとう誰一人として"本物の"スナッフ・フィルムを送った者はいなかったのである(※2)。

つまり、スナッフ・フィルムは未だ誰も見ぬままにその噂だけが広まる、まるで都市伝説のごときである。インターネットの掲示板や裏話系の雑誌を見渡せば、「知りあいが南米で見たらしい」「昔知人の友達が東南アジアで見たらしい」といった話は枚挙にいとまがない。しかしどこかに実在するというそのビデオを実際に見た者は、まずどこにもいないのである。

※ 1. この事件の真相は定かではないが、幼児を虐殺したビデオは"Necros Pedo"(幼児死体性愛)と呼ばれ、最も高いもので一本65万円強の値段で取引されていた、と記事は伝えている。
- CNN.com - Italy charges 1,500 people in child porn inquiry
- British link to 'snuff' videos | UK News | The Observer

※2.残虐フィルムや残酷映画が誤って"スナッフ・フィルム"として報道・記録される事は多い。例えば『食人族』や、『ギニー・ピッグ』などがそれにあたる。詳しくは後述。
- Urban Legends Reference Pages: Snuff Films

スナッフ・フィルムの起源 - マンソン・ファミリー

sfilm04.jpg"スナッフ・フィルム"という言葉の由来は定かではないが、元々"スナッフ"という言葉自体はポルノ業界において、"(演技上の)女性惨殺シーンがあるポルノ映画"を指すジャーゴンとして古くから存在していたことが知られている。しかしそれが"実際の殺人映像"という意味で使われるようになったきっかけは、20世紀のカルトを象徴する、かのチャールズ・マンソンとそのファミリーであった(※ 5)。1969年のマンソン逮捕後、エド・サンダース(『ファミリー シャロン・テート殺人事件 (1972)』著者)のインタビューを受けたファミリーの一人(匿名)は、彼が目にしたという"スナッフ・フィルム"の存在を次のように述懐している(以下同書より引用)。

匿名「ええ、まあ、知ってましたよ。一本だけ、殺し(スナッフ)の映画があるってことを。つまり・・・・」
エド「どの殺しの映画のことだ?」
匿名「二十七ぐらいの若い娘で、髪は短くて・・・・ええ、そう、首をはねられていてね、そいつは・・・・」(中略)
エド「娘の様子は?どんなシナリオだったんだ?」
匿名「なに、なんだって?」
エド「シナリオはどうだったのかと訊いたんだ。娘は縛られていたのか?自分からすすんでいけにえになったように見えたか?」
匿名「死んでいた。死んで、そこに転がっていただけだ。」
エド「そのときは、既に死んでいた?」
匿名「ああ。両足をおっぴろげてね。素っ裸だったが、誰もファックしてなかった。首をはねた直後で、そこに転がされていたということだ。」

当時、チャールズ・マンソンとそのファミリーは、野外で定期的に"フリーク・アウト大会"を開き、そこで行われるリンチや乱交、動物生け贄の儀式の様子を 8mmフィルムで撮影していた。そしていつしか、その中に、殺人の一部始終を納めたフィルムが存在するといった噂が、まことしやかに語られはじめたのである。もちろん、この殺人フィルムはマンソン・ファミリーの数多い伝説のうちのひとつに過ぎず、現在に至るまで発見されていない。しかし、この伝説は映画界でも話題となり、60年代後半から70年代半ばにかけ、このマンソン・ファミリーの"悪行"をモチーフにした、数多くのエクスプロイテーション映画が量産されるきっかけとなったのである。

全米で大ヒットした"本物のスナッフ・フィルム"

sfilm03.jpgそして1976年、とうとう"スナッフ・フィルム"を現実のものとする映画が登場した。その名もずばり「スナッフ(SNUFF/1976)」である。1972年頃、米ニューヨークのモナーク配給社プロデューサー、アラン・シャクルトンは、南米で撮影された「スローター(Slaughter/1971)」という作品の配給権を手にいれた。「スローター」はマンソン・ファミリーの襲撃事件を下敷きにし、ブロンドの女たちがサタンという名の男に次々と犯され、惨殺されていくという、典型的なセクスプロイテーション映画(※3)である。しかし「スローター」は演技も下手なら編集もいい加減という酷い代物で、まるで収益が見込める作品ではなかった。そこでシャクルトンは、既に買い取ってしまったこの作品をどうにか売り出そうと、一計を案じたのである。

sfilm110.jpgてはじめにシャクルトンは、新たに制作した5分程度の追加シーンを挿入した。映画の本編終了後、「カット!」という監督の掛け声と共に始まるそのシーンは、あたかも今まさに映画(スローター)の撮影を終えた現場の風景である。カメラはやや撮影セットのやや外側から、スタッフたちの様子を写している。やがて監督が女性ADに声をかけ、彼女をそのままベッドに押し倒してしまう。ADは最初監督の悪ふざけとみて嬌声をあげるが、スタッフが一丸となって彼女を押さえつけはじめる。事態を察した彼女の声がいよいよ悲鳴に変わると、監督はペンチやノコギリを持ち出し、彼女をズタズタにしてしまうのである。そして監督が彼女の腹から腸を引きずり出し、恍惚の笑みを浮かべたところで、映画は唐突に終わる。

それはまさに途方もない展開であった。さも映画スローターの本編全ては、このたった5分の"本当の殺人場面"に連なる冗長な予告編に過ぎなかった、とでもいうかのように。こうしてスローターを全く別の作品に作り替えたシャクルトンは、更に映画のタイトルを当時話題となっていた"スナッフ・フィルム"から拝借し、ずばり"スナッフ"と変えた。そしてこの映画を南米製作の作品として宣伝し(※ 4)、パンフレットに次のような意味深な惹句を添えたのだ。"この映画は、命の値段が安い南米だからこそ生まれた作品である!"さらにシャクルトンは、映画には実際の殺人シーンが挿入されているらしい、と自らあちこちに吹聴したのだった。

sfilm02.jpgこのシャクルトンの目論みは大成功した。映画は公開前から大きな反響を呼び、連日、映画館にはフェミニスト団体や人権団体が押し寄せたのである。彼らは<殺人は娯楽ではない>などと書かれたプラカードを持って"スナッフ・フィルム"の上映に抗議した。しかしそうした騒動自体がかえって大衆の関心を引き、結果、「スナッフ」はもはや社会現象とでもいうべき注目を集めることに成功した(※5)。この一連の騒動を通じて、それまでほとんど知られていなかった"スナッフ・フィルム"に、世間はまんまと釘付けになったのである。

※3.利益至上主義の映画(エクスプロイテーション映画)の中でも特に性描写を売り物にした映画。

※4.もともと「スローター」はアルゼンチンで撮影されたため、この売り出し文句自体は嘘ではなかった(製作は米国の会社)。ただし南米で撮影された理由は、シャクルトンが吹聴したように、"命が安い"からではなく、単に"人件費が安い"からだった。またスナッフが空前の話題を呼んだ背景には、映画の公開当時、アルゼンチンで四人の娼婦らが惨殺された事件が発生し、FBIがその現場を納めた殺人フィルムの調査を行っている、といった噂が流れていた事も大きい。それにより、映画「スナッフ」こそが、くだんの殺人フィルムではないかという憶測が流れたからである。ちなみに今日では、公開停止を求めるデモ活動自体も、シャクルトンが仕込んだものだと言われている。

※5.この宣伝手法は以降、食人族、近年ではブレア・ウィッチ・プロジェクトといったモキュメンタリー(疑似ドキュメンタリ)作品の王道的な売り出し方として継承された。映画の出来事をまるで事実であるかのように話題を振りまき、口コミを誘発して話題を集めるその手法は、現代におけるバイラル・プロモーションの先駆とも言える。



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